人に歴史あり
私は歴史本が好きで、特に近現代の伝記や出来事にまつわる本を時折読んでるんですが、
やっぱりこういう本を読んでいると、あらゆる人が
その世界の主人公なんだなと思わされます。
ある個人の伝記を読んでると、そりゃもうたくさんの人が出てくる。
仲間もいればライバルもいるし、頼れる上司や生意気な後輩もいる。
当然憎い野郎も出てくれば恋仲になる人だっているわけです。
色んな人がいるなかで、その伝記の中では主役の果たした役割や影響が
どうしたってピックアップ、誇張されて表現されるんですが、
そのほかの人たちだって立派にその時代を生きた人間です。
歴史本のいいところは、その主役以外の人間に興味を持ったなら
またその脇役を主役にした伝記を知ることができるところですよね。
そしたら前に呼んだ本で主役だった人間のまた別の面が見えたり
当然、新たな登場人物が現れたりして際限なく物語が紡がれてゆくと。
RPGの脇役も歴史を持っている
こうした観点からすると色んなRPGや物語においても脇役の彼らにも当然それぞれ様々な考え方があって
彼らなりの信念や思いによって行動を行い、ドラマがあって
歴史の中でその役割を果たしたように見えてきて仕方ないんですね。
彼らが主人公の仲間になる前に何をしていたんだろうか、
彼らはこの旅が終わった後何をするんだろうか。
その地にまつわる言い伝えの裏側には何があったんだろうか、
伝承する中で失われた「都合の悪い真実」は無かったのだろうか。
なんて思ってしまう。
主役に絡んだ人間でなくても、その世界を生きる人々は数多くいたわけで
主役の決断や行動に影響される同時期の人間においても
大きな決断や行動を要する場面ではドラマが発生したはずです。
脇役なりのドラマ
ゲームという世界においては主役級の人々の話ではないからこそ歴史の大きなうねりを覆すほどのエピソードにはなりえないし、
最終的に彼らを待ち受ける結末なんかもある意味予想はできてしまう。
それでも彼らは彼らなりにその背景、そしてそのときの環境をもとに
彼らの思いのもとで判断し、行動し、結果を残していくと。
端役の彼らの物語は結果として
もろ手をあげたハッピーエンドにならないこともしばしばです。
逆に、主人公の行動に思わぬ伏線や影響を及ぼしたりすることもあって
そういう意味では主役を食ってしまうこともあるかもしれません。
スケールの意味では決して大きくはない、
ある意味で主役級ではないちょっとしたドラマになることもあるでしょう。
考え方としては初代ガンダムを原作として考えた場合の
その他の1年戦争モノは大いなる二次創作として分かりやすいかと思います。
ああいうノリを、色んなゲームに対してやっていきたいんですねー。
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