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女神転生3をクリアしました!
今見るとこの千晶とのすれ違いが全てを物語ってると思う
プレイ時間はクリア後データで61時間46分。主人公の最終レベルは88でした。
マガタマをマサカドゥスまで集める一方で、抜かりなくメノラーも全回収し
メタトロンを前に日和ってカグツチの塔を登って
裕子先生ENDを迎えるプレイングでしたが、いやー、これ!これですよ!
女神転生!いい!
そういや最後にメガテンやったのいつだったかなと思ってちょっと調べてみたら
女神転生4が2013年、デビルサバイバー2が2015年。
そこからもう5年!いやー5年もたってるんですか!
思った以上に久々のメガテンでしたが、やっぱり普遍的な面白さがありますよね。
時間を忘れてのめりこんでプレイしました。
メガテンはその空気感と絶妙なシナリオがいいんですよね。
他のゲームとは一線を画す、いかにも悪い雰囲気をビシバシにまとってますが
やってることはすっげえ王道!すっごいグッときますよこのシナリオ。
どっちかっていうと女神転生4よりも等身大のストーリー展開なので
迫ってくる、訴えてくるものがありましたね。
現代社会が突如として崩壊し、悪魔が跋扈するボルテクス界となった世界で
悪魔の身体に変異した主人公と、人間のままの友人らがどのような選択を
するかがストーリーの軸なんですが、この対比が美しいんですね。
押し付けがましく描かないのがアトラス流。素晴らしいです。
高校生の主人公が友人らと裕子先生を病院へ見舞うところから物語は始まります。
突如崩壊する東京。主人公は悪魔に生まれ変わり、強力な力を有することに。
ボルテクス界という謎の世界に生まれ変わったトウキョウを舞台に
何故東京は崩壊したのか、このトウキョウでなにが起ころうとしているのか、
そして自分と、ヒトとしてボルテクス界に生き残った友人らは何を選択し、
行動するのか?
いずれの友人もそれまで持っていたヒトとしての感情、心、分別を徐々に忘れ
最初は少しずつ、やがて急激に狂っていく様が劇的に主人公に突き付けられます。
ヒト、すなわち世界を導く者としてコトワリを開く立場となった友人らの思考が
どんどんと変質していくのを間近に見る主人公。
主人公である私は正直その思考の変化に全くついていけないんですよ。
友人らは友人らでボルテクス界で様々な経験をし、追い詰められ、
結果として思考の変質に至っているのだと思いますが、
その経緯が細かく描かれない、語られないことが
置いてきぼりになった主人公との一体感を生みます。
ボルテクス界を生き抜ける悪魔の力を有してしまったがために
世界に順応できてしまい、友人らが経験せざるを得なかった
思考の変質を経験しなかった主人公の考え方がプレイヤーと一致する。
この設定、ゲーム作り、シナリオ運びが実に絶妙!
俺の身体は悪魔になってしまったかもしれない、
でも心であるプレイヤーは間違いなくこの現代を生きるヒトなんです。
それをね、ゲーム側がきちんと理解しているんですね。
ゲームシステム上悪魔になってしまった主人公と、プレイヤーが
ヒトであることによる悪魔(身体)とヒト(精神=プレイヤー)のギャップが
シナリオにきちっと生きてくる。これによって、得も言われぬ感情移入、
主人公との一体感が味わえるんですよ!こんなゲームなかなかないぞ!
序盤、世界が主人公を悪魔として扱うことにものすごく違和感があるんです。
プレイヤーからしたら説明もなしに悪魔とか言われても疑問符しかつかない。
その疑問が最後の最後までずーっとくるんです。クリアした今なら
わかりますが、それもゲーム上の狙いだったんですね。おそろしい…。
またメガテン3は主人公が喋らないゲームです。主人公が何を考えているかは
分からない。でも誇張でなくそのことが主人公とプレイヤーの一体感を
相乗していたと思います。
自らの立場を選択し、エンディングが分岐するシステムをとっています。
この選択肢の選ばせ方が絶妙だなと思いましたね。
プレイヤーからしたら
友人らの極端な思考の変化、友人らが提唱する「新しい世界のコトワリ」は
あんまりにも極端で、排他的で、夢も自由もなく、受け入れられないんですよ。
そんな世界を共に目指そうと言われても、手を取り合うことはできないです。
最初っから狂ってる「東京を崩壊させた元凶」氷川のコトワリなんて論外。
一方でコトワリを開けなかった裕子先生が目指した、
よりヒトが「自由」に生きられる社会とは何だったのか。
その社会こそが崩壊したあの世界ではなかったのか。
ゲーム中にはこの「自由」を選ぶ勇気を問われる選択肢があります。
変わり果てた友の行いもまた自由のなせる業!主人公が友を否定し、
自らが正しいと思う道を選ぶことも自由であると!
それがゆえに争い、傷つき、倒れようとも、なおも自由を信じて進む勇気が
お前にあるのかとこのゲームはプレイヤーに問いかける!
その先に、どんな未来があるのか。
「悪魔にコトワリは開けない」ゲーム開始当初から言われていることです。
友人らが目指すコトワリを否定して、打ち壊して、その先に何が待っているのか
全く見えない。コトワリ無き創生の果てに何が待ち受けているのか、
保証は何もない!だけど、友人らのやっていることは明らかにおかしい!!!
強き者だけが生きてゆける世界や、一切の他者を拒絶する世界、
感情を持たずただただ絶対的な意思に従うだけの世界を
理想として掲げることなどできるわけがない!俺は自由に生きる!
自ら考え、自ら行動し、自ら未来をつかむ!
シナリオの中で、自然にそうした考え方に至り、選択し、未来(エンディング)を
掴みとれるのがメガテン3の素晴らしい所です。
裕子先生の気まぐれにも似た懸念によってボルテクス界に召喚された
主人公によって事件は解決されます。
この裕子先生がものすごく人間らしくて好きですね。
オープニングで颯爽と登場し、精神的な強さを見せ、
頼りになる大人の女性として映っていた裕子先生。
しかしゲーム中盤以降、そんな裕子先生も
思い描いた自分になれないことに葛藤し、迷い、悩みを抱え、
自信を持てない一人の人間であったことが明らかになり、
そして最終的に主人公に未来を託す流れは非常に美しいです。
自由を強く願い、選択した先に得られる裕子先生エンドは本当によかった。
夢オチかなと思いましたが、まったくそうではなかった。
裕子先生がプレイヤーに再生を感謝するメッセージで
このゲームはエンディングを迎えます。悪魔の身体となった主人公の精神が
「ヒトそのもの」であることをついに世界が認め、且つその精神が
コトワリに足る力を有すると承服したことで得られたエンディングです。
結局コトワリなんていらないんですよ!迷い悩む人間にコトワリなんか
必要ない!迷い悩みながらもそれでも自分を信じて進んでゆける勇気!
それが自由!人間なんだ!神が自由=過去の世界を否定しようとも、
人間である俺がそれを選ぶ!神の意志なんてくそっくらえだ!
うーんとっても女神転生的。スカッとします。
特に前半のマタドール戦はやばかった。何度も何度もやり直して、
作戦を練って望みました。このゲーム、バフ・デバフがかなり有効なので、
敵の行動パターンが見えてくると、仲魔の得意不得意や技の選定によって
どんな敵でも乗り越えてゆけるのが面白い。
中盤以降、自分なりの戦術が見えてくるのもとても爽快でした。
モイライ三姉妹に対してだいそうじょうが瞑想しまくって
相手のMPがからっけつになるまで持久戦を挑んだのもいい思い出です。
ひたすら強力な魔法を連発する相手のMPが切れた時ほど嬉しいときは無い!
最終的にはとにかく相手にランタマイザをぶっかけまくって
物理で殴りまくるゲームにできるなど、かなり戦略的な幅が広くて
おもしろかったですねー。自分が好きなことやれるゲームにできるあたり、
やっぱりメガテンは懐が広い!それでいてバランスが良くとれてるから
安心感があります。プレスターンバトルの戦闘も、一つ一つのコマンドが
詰将棋のようで緊迫感が出ててよかったですね。
いやー、さすがメガテン。外れナシですね。
これで2021年にはメガテン5が出ると来たもんだ。買わない理由がない!
次は無限航路をプレイします。そう、ニンテンドーDSだ!
今見るとこの千晶とのすれ違いが全てを物語ってると思う
プレイ時間はクリア後データで61時間46分。主人公の最終レベルは88でした。
マガタマをマサカドゥスまで集める一方で、抜かりなくメノラーも全回収し
メタトロンを前に日和ってカグツチの塔を登って
裕子先生ENDを迎えるプレイングでしたが、いやー、これ!これですよ!
女神転生!いい!
そういや最後にメガテンやったのいつだったかなと思ってちょっと調べてみたら
女神転生4が2013年、デビルサバイバー2が2015年。
そこからもう5年!いやー5年もたってるんですか!
思った以上に久々のメガテンでしたが、やっぱり普遍的な面白さがありますよね。
時間を忘れてのめりこんでプレイしました。
友人らとの対比を軸にヒトを描くシナリオ
ストレンジジャーニーやソウルハッカーズでも感じましたが、メガテンはその空気感と絶妙なシナリオがいいんですよね。
他のゲームとは一線を画す、いかにも悪い雰囲気をビシバシにまとってますが
やってることはすっげえ王道!すっごいグッときますよこのシナリオ。
どっちかっていうと女神転生4よりも等身大のストーリー展開なので
迫ってくる、訴えてくるものがありましたね。
現代社会が突如として崩壊し、悪魔が跋扈するボルテクス界となった世界で
悪魔の身体に変異した主人公と、人間のままの友人らがどのような選択を
するかがストーリーの軸なんですが、この対比が美しいんですね。
押し付けがましく描かないのがアトラス流。素晴らしいです。
高校生の主人公が友人らと裕子先生を病院へ見舞うところから物語は始まります。
突如崩壊する東京。主人公は悪魔に生まれ変わり、強力な力を有することに。
ボルテクス界という謎の世界に生まれ変わったトウキョウを舞台に
何故東京は崩壊したのか、このトウキョウでなにが起ころうとしているのか、
そして自分と、ヒトとしてボルテクス界に生き残った友人らは何を選択し、
行動するのか?
プレイヤーがヒトであることを巧みに生かしたゲーム設計
変わり果てた境遇を突き付けられ、理解し、そして様々に変わりゆく友人たち。いずれの友人もそれまで持っていたヒトとしての感情、心、分別を徐々に忘れ
最初は少しずつ、やがて急激に狂っていく様が劇的に主人公に突き付けられます。
ヒト、すなわち世界を導く者としてコトワリを開く立場となった友人らの思考が
どんどんと変質していくのを間近に見る主人公。
主人公である私は正直その思考の変化に全くついていけないんですよ。
友人らは友人らでボルテクス界で様々な経験をし、追い詰められ、
結果として思考の変質に至っているのだと思いますが、
その経緯が細かく描かれない、語られないことが
置いてきぼりになった主人公との一体感を生みます。
ボルテクス界を生き抜ける悪魔の力を有してしまったがために
世界に順応できてしまい、友人らが経験せざるを得なかった
思考の変質を経験しなかった主人公の考え方がプレイヤーと一致する。
この設定、ゲーム作り、シナリオ運びが実に絶妙!
俺の身体は悪魔になってしまったかもしれない、
でも心であるプレイヤーは間違いなくこの現代を生きるヒトなんです。
それをね、ゲーム側がきちんと理解しているんですね。
ゲームシステム上悪魔になってしまった主人公と、プレイヤーが
ヒトであることによる悪魔(身体)とヒト(精神=プレイヤー)のギャップが
シナリオにきちっと生きてくる。これによって、得も言われぬ感情移入、
主人公との一体感が味わえるんですよ!こんなゲームなかなかないぞ!
序盤、世界が主人公を悪魔として扱うことにものすごく違和感があるんです。
プレイヤーからしたら説明もなしに悪魔とか言われても疑問符しかつかない。
その疑問が最後の最後までずーっとくるんです。クリアした今なら
わかりますが、それもゲーム上の狙いだったんですね。おそろしい…。
またメガテン3は主人公が喋らないゲームです。主人公が何を考えているかは
分からない。でも誇張でなくそのことが主人公とプレイヤーの一体感を
相乗していたと思います。
ヒトであるプレイヤーが選びつかみ取る未来
女神転生の例にもれずメガテン3も多くの人々との会話の中から自らの立場を選択し、エンディングが分岐するシステムをとっています。
この選択肢の選ばせ方が絶妙だなと思いましたね。
プレイヤーからしたら
友人らの極端な思考の変化、友人らが提唱する「新しい世界のコトワリ」は
あんまりにも極端で、排他的で、夢も自由もなく、受け入れられないんですよ。
そんな世界を共に目指そうと言われても、手を取り合うことはできないです。
最初っから狂ってる「東京を崩壊させた元凶」氷川のコトワリなんて論外。
一方でコトワリを開けなかった裕子先生が目指した、
よりヒトが「自由」に生きられる社会とは何だったのか。
その社会こそが崩壊したあの世界ではなかったのか。
ゲーム中にはこの「自由」を選ぶ勇気を問われる選択肢があります。
変わり果てた友の行いもまた自由のなせる業!主人公が友を否定し、
自らが正しいと思う道を選ぶことも自由であると!
それがゆえに争い、傷つき、倒れようとも、なおも自由を信じて進む勇気が
お前にあるのかとこのゲームはプレイヤーに問いかける!
その先に、どんな未来があるのか。
「悪魔にコトワリは開けない」ゲーム開始当初から言われていることです。
友人らが目指すコトワリを否定して、打ち壊して、その先に何が待っているのか
全く見えない。コトワリ無き創生の果てに何が待ち受けているのか、
保証は何もない!だけど、友人らのやっていることは明らかにおかしい!!!
強き者だけが生きてゆける世界や、一切の他者を拒絶する世界、
感情を持たずただただ絶対的な意思に従うだけの世界を
理想として掲げることなどできるわけがない!俺は自由に生きる!
自ら考え、自ら行動し、自ら未来をつかむ!
シナリオの中で、自然にそうした考え方に至り、選択し、未来(エンディング)を
掴みとれるのがメガテン3の素晴らしい所です。
ヒトであり通した裕子先生と、その遺志を継ぐ主人公
裕子先生の弱さが原因の一端となって招かれた今回の出来事でしたが裕子先生の気まぐれにも似た懸念によってボルテクス界に召喚された
主人公によって事件は解決されます。
この裕子先生がものすごく人間らしくて好きですね。
オープニングで颯爽と登場し、精神的な強さを見せ、
頼りになる大人の女性として映っていた裕子先生。
しかしゲーム中盤以降、そんな裕子先生も
思い描いた自分になれないことに葛藤し、迷い、悩みを抱え、
自信を持てない一人の人間であったことが明らかになり、
そして最終的に主人公に未来を託す流れは非常に美しいです。
自由を強く願い、選択した先に得られる裕子先生エンドは本当によかった。
夢オチかなと思いましたが、まったくそうではなかった。
裕子先生がプレイヤーに再生を感謝するメッセージで
このゲームはエンディングを迎えます。悪魔の身体となった主人公の精神が
「ヒトそのもの」であることをついに世界が認め、且つその精神が
コトワリに足る力を有すると承服したことで得られたエンディングです。
結局コトワリなんていらないんですよ!迷い悩む人間にコトワリなんか
必要ない!迷い悩みながらもそれでも自分を信じて進んでゆける勇気!
それが自由!人間なんだ!神が自由=過去の世界を否定しようとも、
人間である俺がそれを選ぶ!神の意志なんてくそっくらえだ!
うーんとっても女神転生的。スカッとします。
忘れちゃいけない最高なゲームバランス
戦闘バランスも見事ですね。非常にスリリングでした。特に前半のマタドール戦はやばかった。何度も何度もやり直して、
作戦を練って望みました。このゲーム、バフ・デバフがかなり有効なので、
敵の行動パターンが見えてくると、仲魔の得意不得意や技の選定によって
どんな敵でも乗り越えてゆけるのが面白い。
中盤以降、自分なりの戦術が見えてくるのもとても爽快でした。
モイライ三姉妹に対してだいそうじょうが瞑想しまくって
相手のMPがからっけつになるまで持久戦を挑んだのもいい思い出です。
ひたすら強力な魔法を連発する相手のMPが切れた時ほど嬉しいときは無い!
最終的にはとにかく相手にランタマイザをぶっかけまくって
物理で殴りまくるゲームにできるなど、かなり戦略的な幅が広くて
おもしろかったですねー。自分が好きなことやれるゲームにできるあたり、
やっぱりメガテンは懐が広い!それでいてバランスが良くとれてるから
安心感があります。プレスターンバトルの戦闘も、一つ一つのコマンドが
詰将棋のようで緊迫感が出ててよかったですね。
いやー、さすがメガテン。外れナシですね。
これで2021年にはメガテン5が出ると来たもんだ。買わない理由がない!
次は無限航路をプレイします。そう、ニンテンドーDSだ!
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